ユビキタス・キャプチャもやっていないようでやっていた、ということも気づきました

なければないで大丈夫 - 工夫人生
"なくても平気。"
http://d.hatena.ne.jp/umazurabouzu/20080418/p1

と言いつつも、X02HTがなくなってから、ついついやらなく=書かなくなっていることが、微妙にひっかかっていることがあります。それは気づきとか思ったこととか考えたことなんかを書き連ねる、ユビキタス・キャプチャのようなメモ

これこそ手書き向きのような気がするけれど、なぜか手書きだと量が減ります。というか、これに関してはX02HT+PhatNotesが、ぼくにとって史上最強の道具であり環境(X02HTがユビキタス・キャプチャにふさわしい理由 - 工夫人生)なのです。

とはいえ、実際ユビキタス・キャプチャがなにかの役に立ったということが、これといって特にないのも事実。いや、ないわけではないけれど、どちらかと言えば実用的なメリットよりも、読み返すことで気づく自分へのフィードバックだったり、読み返すことそのものの楽しさだったりのほうが大きいわけです。

だから、習慣として実装しなくとも良いとも言えますが、だからこそ、習慣化したいとも言えるわけです。というか、すでにけっこうな習慣になっていたのだと、これまた、なくなったからこそ気づいたことなのです。