自分が役に立つことは他人の役に立つかもしれない

こちらのエントリーを読んで考えてみた。

夢を見ることも大事だけど、もっと大事な事がある? - モチベーションは楽しさ創造から
"「読んだ人が役に立つエントリを書こう。人が役に立つエントリとは、「自分が役に立った」という情報のこと。「自分が役に立った」「自分が勉強になった」と思うことを、皆さんに紹介していけば、読んでくれた人の数%の人達にとっては、きっと役に立つ話なのではないか?」
という立ち位置でした。"
http://d.hatena.ne.jp/favre21/20071121#1195612718

後段の「自分が役に立ったことは誰かの役に立つかもしれない」というくだりに共感。これまで作ったいくつかのブログも結局そういうことだったのだな、と今さらながら思った。

ここもそうなればいいな、と思うけどまだまだ。「做法」というのは「やり方」を中国語翻訳した結果。もちろん読めないしほんとに正しいかもわからない。「うまづらぼうずのやりかた」。ボクが実際にやってみたことなんかを、もっぱら自分のために記録しておくのもいいかも、というのがスタートだったけど、それが結果、誰かのお役に立てばもちろん言うまでもない。人からもらったバトンをちゃんと次の人それもできれば大勢の人に渡していく。そんなことなのかもしれない。

ちょうど昨日、「なんか人の役に立つことをしたい」なんて我ながらびっくりするような気持ちに突然なってびっくりしたんだけど、その直後のあのエントリーに触発されたこのエントリー。思い立ったが吉日? これぞまさにシンクロニシティだったり兆しだったりするのだきっと。